国宝の茶室「待庵(たいあん)」は、京都府乙訓郡大山崎町の妙喜庵(みょうきあん)にあります。待庵は、日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休が作ったと信じうる唯一の現存している茶室です。故に待庵は国宝に指定されています。秀吉は、戦争が終わったあとも天王山に城を築き、本拠として半年間ほど住み、千利休を招いて城下に二畳の茶室を作らせたとしています。功叔和尚は利休の弟子といわれており、秀吉が山崎にて茶会を催した折には利休の手伝いをしていたようです。茶室はその後解体され、慶長年代(1596~1615)にこの妙喜庵に移されたといわれています。
待庵は、利休の構想により、構築されており、当時~現在のおける、大工の常識からは、図れない建築法であり、国宝待庵の復元のおいても、背後から「利休」さんが指示をしているようで、困難な建築でした。
妙喜庵/待庵を見学するには、およそ1か月前までに往復はがきによる予約が必要です。見学が許可された場合も、待庵はにじり口からの見学で、内部に立ち入ることはできません。また、内部の写真撮影は禁止となっています。
人は、実際に触れてみる、体験することにより、そのものの価値を実感できると考えております。国宝「待庵」の原寸大に細部に至り復元したのは、日本の「わび・さび」を多くの方々に実感していただくことを念願に作成しました。したがいまして、組み立て式とし、移動、組み立てが可能であり、実際、茶会もできます。国宝・待庵の原寸大復元の茶室は、長野市の工房に常設展示されています。ご見学のご希望の方はお電話ください。
「人間の分際」曽野綾子 平成27年7月30日初版 平成27年9月ベストセラー
まえがきより引用 「前略、最近、地方で、大工の名人が建てたという二畳の茶室を見た。 中略、しかし茶道具一つない二畳の茶室を見て驚いた。けっこう広く感じるのである。後略」
曽野綾子さんが、国宝・待庵復元の茶室のことを書いているかの真偽は不明であるが、東京美術倶楽部展示から、1ケ月後の出版であること、二畳であることなどから、待庵に感銘を受けた事実は、想像の域を超えない。しかしながら、多くの方に、日本独自の「わび・さび」が生み出す、二畳の広さを実感していただきたいものである。
国宝待庵所在地京都大山崎町からの招待展示
国宝待庵原寸大復元茶室 展示
平成26年 9月 | 北村幸雄 個展 | 長野市 八十二銀行本店併設ギャラリー |
平成27年 6月 | TOKYO ANTIQUE FAIR 2015 | 港区芝 東京美術倶楽部 |
平成27年10月 | 二畳の空間 お披露目会 | 港区芝 東京美術倶楽部 |
平成29年 5月 | 北村幸雄作品展 | 伊那市 かんてんぱぱガーデン |
平成29年10月 | 千利休「国宝待庵」模型展示 | 京都府大山崎町 大山崎ふるさとセンター |
平成30年 4月 | 国宝茶室待庵原寸大複製展示 | 諏訪湖 ハーモ美術館 |
国宝の茶室「待庵(たいあん)」の再現
北村幸雄作品展 ギャラリー82 2014.9.30~10.5長野市新田自宅併設の貸し茶室
妙喜庵 待庵
「茶の湯とは ただ湯をわかし 茶を点(た)てて のむばかりなる ことと知るべし」茶人・千利休が残したとされる言葉です。400年前に利休が大成させた茶の湯。それは、極限まで無駄をそぎ落とした中に、素朴な美を見出すわび茶でした。京都市・天王山のふもとにある妙喜庵(みょうきあん)。ここに、利休が設計に携わったとされる待庵はあります。小さな空間に主人と客とが一椀の茶をはさんで、心と心で向かい合う。茶の世界を追い求めた利休がたどり着いた先、それが待庵だったのかもしれません。