主宰 宮大工

芸術家・宮大工

経歴

1954年  長野県信州新町出身
1982年  穴窯・焼き締め陶芸製作を開始
1989年~1991年 松代藩武家屋敷、旧横田家住宅保存修理棟梁
1990年  長野市市川合新田に倒炎式薪窯/穴窯を設置
1998年  松本市「いこいの森美術館」にて、個展
2001年  グローバルカナダ日本の美術展グランプリ受賞など
2001年  日仏現代作家美術展サロン、デュ、ブラン受賞
2003年  八十二ギャラリー、個展
2004年  銀座黒田陶苑にて、個展
2005年  長野東急デパートにて、個展
2007年  信州新町美術館にて、個展
2014年  八十二ギャラリー、個展
2015年 茶室 国宝・待庵 実寸大復元 各地にて展示

      

重要文化財 長野市松代町「旧横田家住宅」

  1989年~1991年 棟梁として、旧横田家住宅保存修理を実施

 松代の、重要文化財に指定されている、1800年代前半から中ごろに建設されたとみられる武家屋敷「旧横田家」の保存修理を棟梁として指揮しました。横田家住宅は、松代の中級節の住宅の典型的な間取りで、長屋門、主屋、隠居屋、土蔵が遠くの山並みを背景として庭園、泉水越に構築されています。また横田家からは、幕末から昭和にかけて、著名な人材が輩出されました。「富岡日記」で知られる和田英は、大審院長の横田秀雄の姉で、息子の正俊も最高裁判所長官であったことから2代続いて裁判官の最高位に就きました。また弟の謙次郎は鉄道大臣でした。

茶室 国宝・待庵の実寸大復元

 2015年

 国宝に指定されている茶室は3か所ありますが、待庵は、千利休が建てたとされています。二畳という狭い小間に、いかに圧迫感を与えずに広く感じさせるかという、利休の「わび茶」の一つとしての知恵と、古の大工の技術が融合しているが故の価値、国宝であるとおみます。その国宝待庵の「わび茶」、利休の心を実感するのは、中に入り座ること以外にはないと考え、国宝待庵の原寸大復元の茶室を構築しました。また、組み立て式としたことで、移動組み立てが可能としましたので、展示会などで多くのかたに、利休の「わび茶」を体験していただきたいと思います。